]X 藪の中
「これで、少しは動けるようになるはずだ」
「ありがてえ…!」
いきなり駆けだそうとして、石松はよろめいた。
総帥がその肩をしっかりと抱きとめる。
「あくまで応急処置で痛みを止めただけのこと。跳躍はむりだろう。あなたも――」
志那虎にむかって続ける。
「いま動かせば、今度こそほんとうにブローがうてなくなるかもしれない」
フッ、と志那虎は微笑した。
「もとより、ボクシングの道はとうに捨てている」
「ヘッ。足が使えなくても、ケンカにゃ両手がありゃあ上等だ」
(待ってろよ。竜…河井…)
――行くぜ!
『朱霊門』を後にし、『魔将門』を抜ける。
「…けどよォ、これって全部、罠なんじゃねえかァ?」
総帥の肩をかりた石松がそんなことを言いだすと、志那虎は苦笑した。
「罠といえば、はなっから罠だらけだったろう」
「そ、そうじゃなくてよ…。おりゃあまだ信じらんねェんだよ、河井がヤツらと同じ阿修羅一族だったなんてよ」
思うように動けないのがもどかしいぶん、口の方はよく動くらしい。
「あいつとは一緒に病院行ったんでわかるけどよ。不死身って言やあ、河井よりオレのほうがよっぽど丈夫
だしなァ」
違いねえ、と志那虎が微笑する。
「それによ。河井にゃ、あんなによく似たねえちゃんがいるじゃねえか。まさか、あのねえちゃんも阿修羅一族
だなんて言わねえよなァ」
先をゆく剣崎が、フッと笑っていう。
「犬だって長年飼えば飼主に似るっていうからな」
「い…犬はねェだろうよォ…」
貴公子を犬にたとえる剣崎の爆弾ジョークに、全員の目が点になったことは言うまでもない。
あたかも雰囲気を修復するかのように…
志那虎が、渋く切り出した。
「で…どうなんだ、本当のところは」
気づいた剣崎とのあいだに、鋭い視線が交錯する。
その空気を目ざとく察した石松が、すっとんきょうな声をあげた。
「なに? 剣崎は知ってんのかよオイ?」
フッ…と笑って、剣崎は答えない。
「なんだよ、知ってるならもったいぶらずに教えてくれよ、なァ」
「もったいぶってるわけじゃねえが…これは河井のプライバシーに関わることだ」
「なら仕方がねえ」
と、志那虎は目を伏せた。
「プ…プラ…? よくわかんねえけどよォ…」
「『親しき仲にも礼儀あり』っていうだろう、石」
「そ、そうだけどよダンナ…。現にオレたちもここまで首つっこんじまってるしよ…。だいたい剣崎、おめえは
知ってんだろうがよォ」
「言わないとは言ってねえ」
剣崎がいった。
「ただし、今から言うことはここで忘れろ。それが約束できるなら話す」
そう前置きして、剣崎は話しはじめた。
「調べさせたところ、河井は幼い頃に、現在の両親――つまり河井家の養子になっている。姉のほうは実子
だから、実のきょうだいじゃねえってことになるな」
「じゃあ、やっぱり…」
「話はまだ終わっちゃいねえ。ただし、ここからはかなり不確かな情報になるが…」
河井家にもらわれる前、どこにいたか――調べると、河井家の父親の妹の子供だったということがわかった。
これが事実なら、あいつは赤の他人じゃない伯父の家にもらわれたことになる。
もし、その女性が実の母親だったとすれば――その線で調べてみたが、父親と思われる人物の素性は不明。
そして、この両親は一家で何者かの目を逃れるように転々と住居を移ったのち、あいつが幼い頃、交通事故で
亡くなっている。
「阿修羅か…?」
「いや、この事故にはあやしいところはねえ。ほんとうに交通事故だったようだ」
ここから、さらに不確かな情報になる。
剣崎コンツェルンの情報網を駆使したが、なにせ十五年以上前の話だ。
この一家には、あいつの上にもうひとりの子――四歳上の女の子がいたらしい。らしい、というのは、確認する
手だてがないからだが――この子は事故のだいぶ以前に、どこかへもらわれたか死亡したかで、消息は不明
になっている。
「もし生きていれば、生き別れのねえちゃんがいるってことになるのか…?」
「そこなんだがな…」
河井家のことを調べると、いくつか不自然なところがでてきた。
長女の貴子は、赤ん坊の頃はどこかに預けられていて、家にいなかったらしい。そして、貴子が帰ってきた時期と、
未確認の女の子が姿を消した時期が、ほぼ一致する。
少ない情報を照らし合わせて推測すると――
そこまで聞いて、志那虎は意味ありげな微笑をうかべた。
「そういう可能性もある、ってこったな」
「な、なんだよ…ダンナはわかったのかよ。推測だの、不確かだの、オレァごちゃごちゃした話は苦手なんだよ。
ハッキリしてくれ、ハッキリ!」
石松の文句に微笑しながら、総帥がいった。
「つまり、こういうことだ」
かれの実の母が、河井家の父親の妹だったとして――
実の父は、おそらく阿修羅の掟をやぶった者。
一族の目を逃れるため、長女を妻の実家…河井家を継いでいた、子供のいない義兄夫婦の子として届けた。
その長女が――すなわち河井の姉、貴子。
つまりかれらは実の姉弟ということになる。
たとえばある日、平穏に暮らしていた一家のところに阿修羅があらわれる。
今度生まれる子が男の子であれば、連れてゆく――そんなふうにいったかもしれない。
夫妻は長女を妻の実家――河井家に託し、生まれた男の子を連れて逃げたのだろう。
その途中で事故にあい、残された男の子は河井家にひきとられた――
「もちろん、事故で亡くなった夫妻の家に、阿修羅が赤ん坊の河井くんを預けた可能性もある。本当のところは…
今となってはわからない」
総帥の説明に、剣崎がつけたした。
「これは河井も、あいつの姉貴も知らねえことだ。絶対に言うんじゃねえぞ」
「…ああ」
「わかったら、この話はおわりだ」
大きく山道を曲がる石段の、勾配が急にゆるやかになる。
そのとき、総帥が前方をさして叫んだ。
「むっ。あれは…!」
『阿修羅門』と掲げられた、巨大な門。
そこへ至る大階段の下の広場に、百人はいようかという阿修羅の戦士が集結している。
乱闘があったのか、すでにそのうちの十人ほどは地に倒れていた。
そして…かれらが取り囲む中心に。
いや、ここからはよく見えないが、おそらく。
今まさに、阿修羅たちがいっせいに襲いかかろうとする寸前である。
「ふたり仲よく…あの世へ行けーっ!」
――まちなよドサンピン!
ザシャァッ――
「その言葉はそっくりそのまま、お前たちにくれてやる!」
スーパースター、剣崎順( じゅん) 。
いぶし銀、志那虎一城( かずき) 。
ケンカチャンピオン、香取石松。
そして――影道総帥( しゃどうそうすい) 。
「…げえっ、お前たちは…」
いきなり現れた強力な援軍に、阿修羅たちは度肝を抜かれる。
「し、影道総帥と…黄金の日本Jr.…!」
石松と総帥が、円陣の中心に駆け寄った。
「竜…!」
かがみこんだ竜児は、こちらに背をむけたまま動かない。
その背が、小刻みに震えている。
「高嶺くん…!」
抱かえ起こそうとして、総帥はハッと気づいた。
「み…みんな…」
傷だらけで、腫れあがった竜児のうつむく横顔。
血と、汗と、泥にまみれた、その頬から。
「か…河井さんが…。…河井さんが…」
透明なしずくが、一瞬光って落ち――
砂に吸いこまれて、消えた。
「河井さんが死んじまったァーッ!」
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