] 秘密
紀州山中、阿修羅総本山。
ピシッ、パシッ――
頂上近くにある巨大な阿修羅門の前に、無数の乾いた音がこだまする。
この広大な石段の上で、百人近い阿修羅の若者が組手を行っているのだ。
――今日は…やけに人数が多いな。
門柱にもたれて立つ武士は、その様子を見下ろして思った。
「まだ増えますよ。迎えに出た凄牙が戻ったら」
いつの間に現れたのか、妖鬼豼がすぐそばに立っている。
「訓練に参加しないのですか、孔士」
フッ、と武士は冷笑をうかべた。
「あいにくだが、相手がいなくてね」
「では、わたしが」
言うが早いか、疾風が武士の頬をかすめる。
チッ…と紙一重でかすった後髪が散った。
「やりますね」
微笑した妖鬼豼の闘衣の胸元が、ハラリと切れている。
シュッ――シャッ――
武士は続けざまに拳を繰りだす。
が、すばやい動きでかわす妖鬼豼には当たらない。
「なにをいらだっているのですか、孔士。拳をつかう時は無心にならねば――」
フッ、と妖鬼豼の姿が消えた。武士がはっとした瞬間には、背後から拳を繰りだしている。
「――負けている!」
瞬間。
妖鬼豼の動きがピタリと止まった。顎の真下に、寸止めの拳が迫っている。
「…本気でうたないのですか、ジェットを」
「キミは本気を出していない」
武士の言葉に、妖鬼豼はフッと微笑して拳を引いた。
「一族のなかでも、わたしの動きについてこれる者は少ない」
その言葉に、武士はまた頬に冷たい笑みを浮かべる。
「カイザーの主( あるじ)、高嶺竜児はこの程度のものではない」
その高嶺竜児が、いまの武士の表情を見てどう感じるだろうか。
「一個の凶器――ですね、いまのキミは。触れれば切れそうだ」
「……」
「今日は、このくらいにしておきましょう。それよりも孔士、話があります」
けわしい岩肌が迫る石段の道を、妖鬼豼が上っていく。
「日本Jr.の三人と影道総帥が動きました。残る剣崎には手の者をつけてあります」
その後を歩く武士が、旧友の顔を思うように目を伏せる。
「剣崎くん…かれは動かないだろう。こんな無意味な戦いには」
「そう願います。が、一族には血気にはやる者もいるので、どうなるか――」
言葉を切った妖鬼豼は、頂上にたつ古びた祠( ほこら)を指さした。
「あれです」
――あれが… 一族の長、阿修羅王のいる館…!
霧にけぶる祠は、不気味なほどの静けさに包まれている。
武士は怪訝な顔をして、妖鬼豼にたずねた。
「ここは立ち入ってはならないと言われている場所だ。なぜ、ぼくをこんな場所に…」
「ここなら、誰の邪魔も入りませんから」
「…いったい、阿修羅王とはどういう人物なんだ? キミは会ったことがあるのか…?」
いえ、と首をふり、妖鬼豼は切れ長の目を伏せた。
「おそらくあの中は――」
――無。
と、妖鬼豼はいった。
「無…? どういう意味だ」
「なにも、ありはしない――阿修羅王など、存在しないのだ」
(なんだって…!?)
武士は耳を疑った。
「バカな…。では…なぜキミは…」
「そうと知っていて闘うのか。あるいは、黙っているのか――ですか?」
絶句する武士に向かって、妖鬼豼は続ける。
「言ったところで何も変わりはしない。ある意味で、ここはとても居心地のいい場所なんですよ――疑問さえ持たねば、ね」
「ここ… 阿修羅一族が…?」
「ええ。いもしない阿修羅王の密命に従っていさえすれば、何も考えずにすみますから」
おのれの若い力を思うさまぶつける快感。
不死身の肉体を持ち、その威力をふるう快感。
何も考えず、闘いの快楽に浸りきる阿修羅となる――
一度その味を知ってしまうと、抜けだせなくなるのだ。
そう、妖鬼豼はいった。
「『すべては阿修羅王のためであり、すべての責任は阿修羅王にある』と信じてさえいれば、何をしても許される」
「それは…違う。間違っている…」
「キミもはやく慣れることだ、孔士。慣れれば何も感じなくなる」
そういって、妖鬼豼は背を向けた。
武士の声が追いすがる。
「しかし、それももうすぐ終わるはずだ。密命どおりカイザーを手に入れれば、こんなバカげたことは…」
「その時は、カイザーがあの場所におさまるだけのこと。何も変わりはしない」
「妖鬼豼」
呼び止めると、武士はいった。
「…ぼくには、キミが本当にそれでいいと思っているようには見えない」
「……」
「なぜ、ぼくにこんな話をしたんだ…?」
「さあ…。なぜでしょうね」
妖鬼豼は何かを思うように目を伏せる。
やがて、顔を上げてはっきりと言った。
「…どのみち、明日にでも高嶺竜児がこの総本山にやってくるはずです。その時は――」
――全力で叩く。
「孔士、キミも肝に銘じておくことだ。我々には、阿修羅一族の血が流れているのですから」
いにしえよりの宿命を受け継ぐ、濃い血が。
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