W 血の儀式




(これは…血か?!)
「どうした、孔士。ひといきに飲みほすのだ」
「う…」
ためらう武士の手から、妖鬼豼が杯をとる。
「毒などは入っていませんよ。…ほら」
血の色をした液体をひとくち含み、妖鬼豼は微笑した。
唇が真紅の紅を差したように光って、禍々しくも艶めかしい。
「なんなら、口移しで飲みますか?」
松明の灯に照らされて、美しい夜叉が血の杯をすすめる。
血に濡れた唇に、凄艶な笑みを浮かべて――しかも、この美女は男なのだ。
かつてない恐怖に、武士は凍りついた。
全身を冷や汗が流れる。
――これに似た恐怖を、どこかで感じたことがある…。
そうだ、日米決戦の時。シャネルの「魔女の眼」に射すくめられた時も、これと似た恐怖を感じた。
――かぎりなく甘美な、快楽に近いほどの恐怖。
目をそらしたくて身体じゅうの神経が悲鳴をあげているのに、吸いつけられるように目を離すことができない。
「クックッ…あまり孔士をからかうな、妖鬼豼」
「そうだ、驚いて声も出ないようではないか」
阿修羅たちの嘲笑に、武士は我をとり戻した。ぐっと唾をのみ、乾いた唇を湿して、声を出す。
「これは…なんだ?」
「英雄の血」
妖鬼豼が答えた。
「血?」
「…と、伝わる泉水です。本物の血なら、時間が経つと変色してしまいますから」
「……」
妖鬼豼が手にした杯に目をむける。薄暗い中で見るせいか、どう見ても血そのものだ。
「もっとも、鉄分と塩分を多く含むせいか…ほんとうに血とおなじ味がしますよ。実際、伝説のとおりに英雄の血だと
信じて疑わない者もいる」
さあ、と妖鬼豼は杯をふたたび武士の手に押しつけて言った。
「われわれ阿修羅の戦士は毎日、これを口にしているのです。お飲みなさい」
――どのみち、帰るところをなくしてしまったんだ。
武士は覚悟を決めた。どうにでも、なるがいい。
ぐい、と杯を飲みほす。
「く…」
思わず、口じゅうに広がった血の味に顔をしかめた。
カラン…と音をたてて、空の杯が床に落ちる。
「なれてくると、これを美味だと感じるようになる」
「美味だと…?」
「この『英雄の血』を摂りつづけることで、不死身の肉体を持つのだから。阿修羅一族の血をうけつぐ者はね」
「不死身…」
「キミも見たでしょう。理屈でわりきれない不思議なことというのが、世の中にはあるのだ」
くらっ…と軽いめまいを覚えて、武士は額を押さえた。
それに構わず、妖鬼豼は続ける。
「そう思えば、例の泉水もほんとうに古今東西の英雄たちの血潮を集めたものかもしれない。理屈でわりきれない
不思議なこと
によってね――」
がっくりと、武士はその場に膝をついた。
目のまえがぐるぐる回るようで、立っていることができないのだ。
おまけに、ひどく身体じゅうが熱い。
「フフ…身体が熱いですか?」
「やはり…。薬を盛ったな…!」
「薬ではない。血の作用ですよ。肉体が完全に阿修羅一族のものになるためのね…」
その時、新たな阿修羅が堂内に入ってきた。
「どうした、鳳龍( ほうりゅう)
「高嶺が影道館( シャドウやかた)へ行ったそうだ」
「動いたか。すると明日あたり、越後長岡へ来るな」
(高嶺…くん…? 来てくれるのか…。まさか…)
よろめきながら足を踏みしめて立ち、武士は叫んだ。
「これは、ぼく個人の問題のはずだ…。高嶺くんは…関係ない…!」
「ところが、そういうわけにはいかんのだ、孔士」
やや哀しそうな顔をして、凄牙はいった。
「わが一族の存在理由…すなわち目的は『カイザーナックルを手にいれること』だからだ」
邪鬼が続けていう。
「そのためには、所有者の資格をもつ高嶺竜児を倒さねばならない
――な…なに…!?
衝撃を受けた武士に追い討ちをかけるように、闇法師がいった。
「孔士。おまえも一族の者である以上、高嶺竜児と闘ってもらう」
「断る…!」
汗を流し、息切れを懸命に押さえながら、武士は声をふり絞った。
身体が…熱い。めまいがする。
「ぼくは、二度と…高嶺くんとは闘いたくないんだ!」
はじめは敵として…そして、仲間として。
ともに闘い、幾多の死線をくぐり抜けてきたなかで。
高嶺くん…かれの、優しさを――痛いほど知ってしまっているから。
もしふたたび、敵として闘うようなことがあれば――
ぼくよりもはるかに、傷つくのは高嶺くんのほうだ。
友を殴る痛みに、ぼくの心が泣いたとしても…
同じ痛みに、かれの心は血の涙を流しているだろう。
澄みきった瞳のうしろに、それを隠して――
そんな、男だから。
――生涯最高の、真友( とも) だから。
「ならば、しかたがない」
背後にまわった大男の阿修羅が、いきなり武士をはがい締めにした。
「う…!」
「一族の掟に従わぬ者は抹殺される」
つい、と妖鬼豼が歩み出る。
「考えなおす気はありませんか、孔士」
「…ぼくは、河井武士だ…。お前らのいいなりには、ならない」
「キミがどう思おうと、その身体に阿修羅一族の血が流れていることは事実だ」
「そうだ、孔士。わるいことは言わん」
凄牙が続ける。
「人の心など、流水のように移り変わるものだ。そんな不確かなものの上になりたつ友情など、あてにはならん」
「…黙れ!」
JET――!!
武士の右拳がうなりをあげ、背後の大男がふっ飛んだ。
宙を飛び、頭から地面に叩きつけられる。
うっ、と息を呑み、阿修羅たちはひるんだ。
「こ…これが、噂にきくジェットアッパーの威力か…」
はあ…はあ…
ぐらり、と視界が歪み、武士は地に膝をつく。
そして――
倒れていた大男が、ゆっくり起き上がった。
「ふ…油断したな。この獅子王( ししおう) ともあろう者が避けきれぬとは」
「わたしも驚きましたよ。一度にあれだけの血を飲んで、まだ動く気力があったとは」
「なれた我々でも日にひとくち含む程度だ。初めての身体にはきついだろう」
「……。くっ…」
目の前がかすむ。身体に力が入らない。
その襟首を、ぐいっとつかんで引き立たされる。
「まあいい。その気にならぬなら、身体にきかせるだけだ」
――その身に流れる、阿修羅一族の血に…な。



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